katonobo’s blog

プログラミング中心の雑記ブログ

ゴミ記事を否定することはインターネット的ではない思う話

qiita.com

 

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こんな話が話題だったようですね。要約すると、ゴミみたいな薄い内容の記事を書くべきかどうかみたいな議論です。

難しい議論は譲ることにしますが、私がインターネットやプログラミングに出会って感動したことの一つに、情報をみんな共有しようとする精神があります。私はこれを勝手にインターネット的な精神だと思っています。

私はインターネット文化を知る前は、情報の非対称性こそが利益の源泉のような業界に長くいたので、プログラマーの人が勉強した知識を無料で公開したり、わからないことを教えあったりする文化を知り、その恩恵を受けた時に雷が落ちたようなショックを受けました。

なぜこんな一見お人好しなことをするのだろうかと思いましたが、こういった文化こそがインターネット業界全体の成長に良いからに他なりません。つまり、自分がわかることを教えてあげれば、その技術者の支援者が増えたり、その分野の研究が進んだり効率的になるからです。つまり知らない人に教えてあげることが結果自分にも還元されてウィンウィンになるのです。

私も、このブログのように技術的な記事を備忘録的にまとめていますが、もちろん悩んでやっと解決できたことなどもあって、「これを無料で公開するのは労力的にどうなのだろう」と当初はケチに考えたこともありましたが、これまで多くわからないことをグーグルで調べ、その度に色々な方の記事を読んでここまでたどり着けたのだから、その方々の恩返しにも記事は書くようにしようと思いました。誰かの役に立つかはわかりませんが、発信し、自分なりの貢献を行おうとする行為自体が大事なのだと思います。

さて、もしゴミ記事は検索の邪魔だから書くなという主張は、情報の共有に関する敷居を設定する行為なので、どちらかというと反インターネット的であると思います。もし最初からハードルを設定してしまえば、誰も記事などかけません。最初はあまり要領を得ない記事でもその人が後々成長して素晴らしい記事を書く可能性がありますが、その機会を奪ってしまいます。

知識も技術もある人なのにゴミ記事は書くなと主張をしているようですが、これからプログラミングを学ぼうと考えている人や、さらに専門的な分野に進もうとする人の可能性を狭める行為だと思います。世界がそういった傾向ならまだマシですが、この議論は日本語での話なので、ただでさえ少ない日本語での情報を、今後さらに少なくするような風潮になることは自分は反対です。

インターネットの素晴らしい文化を勝手に貶めないで欲しいなと思いました。