かとのぼのマイコード・マイライフ

エンジニア兼ウェブサービス開発者のプログラミングと雑記ブログ

「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」ように、高度に発達しすぎた皮肉は皮肉にはならない【SNSが中途半端な皮肉を駆逐する】

クラークというSF作家が、ある3つの法則を唱えました。

クラークの三法則 - Wikipedia

1.高名で年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている。

2.可能性の限界を測る唯一の方法は、不可能であるとされることまでやってみることである。

3.十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。

 この法則で私がいつも面白いなと思っているのが、3番目の「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。」という法則です。

確かにそうですよね。1000年前の人が我々の生活を見たら何が起きているのかチンプンカンプンでしょう。

大きく進歩した技術というのは、あまりに大きな隔たりとなって我々の想像をいとも簡単に超越します。

 

最近、皮肉に関してもおんなじことが言えるなぁとぼんやり考えていました。

つまり、高度に発達しすぎた皮肉は、皮肉としての機能が失われるということです。その言葉に含まれるニュアンスを汲み取ることができなくなります。

京都の独特の裏腹

京都の人たちは本心が何を思っているのかわからないなんて話をよく聞きます。

「ぶぶ漬けを勧められたら帰る」とか、本当か嘘かは知りませんが、何度その話を聞いてもどういった経緯でそんな文化が生まれたのか、そして何がしたいのか全く理解できません。

最近京都に住んでいる人から話を聞いたんですが、ある時、お客様に謝りに行かなくてはいけないことが起こり、お客様の家まで行って謝罪に行ったそうです。

その際にお客様から「玄関先ではなんですからどうぞお上りください」と言われたそうです。申し訳ないと思いながらお邪魔して謝罪をしたそうですが、なんと後日、その方からクレームが再び入ったそうです。

「こちらがお上りくださいと言ったからと言って、本当に上がる人がいますか!?どんな教育をしているのか」というクレームだったそうです。

これを聞いて、京都に長年住む人ならわかるかもしれませんが、県外の人にはちょっと難しすぎるだろ…と思いました。皮肉たっぷりに上りなさいと言ったら、本当に上がってきたから怒ったというわけです。

このように、独自の進化を遂げた文化での皮肉は、外部の人間には皮肉だとは判断できないのです。京都の例は大げさですが、実はSNSの発達により私たちが高度な皮肉(自分ではそう思っていなくても)を言ってしまう可能性が増してきました。

分断され拡散される世界で皮肉はなんの意味を持つのか

昔より、今の方が皮肉を理解するのが難しくなってきています。なぜなら、現在はコミュニティが幅広く、それなのに一つ一つは深くなっているからです。

SNSが原因です。

meyou.jp

これは、日本人のツイッターのフォロワー数ランキングです。しかし、多くの人がフォローしているのはこの中でも数人ではないでしょうか。

これは、SNSが、多くのある程度の大きさのコミュニティを生み、そしてそれらは決して混ざらずに深くしていくからです。また、誰でも気軽に発言できる場が生まれ、独自の文化がより醸成されるようになりました。

このような流れにより、これからますます皆が知っている話題というものは少なくなっていくでしょう。10年前は、皆テレビをみて、学校では同じような共通の話題がありましたが、今はそう言ったものはほとんど無くなっています。

皮肉が皮肉と伝わらなくなれば、それはそれで問題ないような気がしますが、一つ面倒なことが起こります。それが「炎上」です

皮肉はある意味では「ジョーク」とも言えます。その「ジョーク」は、関係が深いコミュニティの人でないとジョークであると判断できません。つまり、多くの人にはただの悪口であると捉えられてしまうのです。SNSの人間の繋がりはアメーバのように色々な所に繋がっているので言葉そのものは色々なコミュニティを行き来します。しかし、そのジョークがジョークと伝わらずに広まってしまう可能性が大きく増しました。

これによって、炎上を避けるために多くの人が突っ込んだ指摘や発言ができなくなります。企業CMを作って、それが批判を受け炎上し、謝罪するなんて場面が日常風景となっています。

皮肉も実は活発な議論を生んでいたという事実

ここから、実は皮肉というものが、特定のコミュニティにとっては、物事を深く洞察することや、物事を円滑に回すことに一躍買っていたということがわかります。今はどんどん自由な発言がしづらくなっています。皮肉が皮肉と捉えられない弊害と意外なことにあったのです。ぶぶ漬けも、わかりませんが、そのコミュニティ内では物事を円滑に進める立派なツールなのです。

もう言葉のままで表現するしかないのか、それとも…

皮肉がただの悪口と認識されるという流れは不可逆なので、これからの日本では中途半端な皮肉はどんどん減っていくでしょう。つまり、ストレートに物事を表現するようになるはずです。誤解を生むような言葉は避けなくてはいけません。

もしくは、逆に圧倒的に皮肉を極めて、皮肉が皮肉とわからないレベルまで昇華するしかないと思います。まさに高度に発達させて、魔法のように不思議なものにしてしまうのです。

ぶぶ漬けとか、皮肉が凄すぎて逆に面白いですよね。そこまでいけば成功です。

私自身は皮肉とかジョークとかが大好きなので、皮肉が無くなったら少し悲しいなぁという気持ちではあります。

ですので、一部の人たちには、ぜひ逆に深く深く潜ってもらって、最高に意味不明な皮肉を作り続けて欲しいと思います。

 

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